真実(ホント)を知る会チューター報告、「子供の学びとは?」

すっかり常連参加にさせてもらっている真実(ホント)を知る会です。
テーマは、「子どもの学びとは?」でした。
一言でいうと、教育問題です。

ただ、「教育」というと、教える側が主体の言葉です。
主体は学ぶ側だよなぁという思いが主催のNさん、私の認識であったので、このようなテーマの名前にさせてもらいました。

昨日今日と二日間にわたり、参加者の方とそれぞれの体験を共有させていただきました。
最初に、次のような質問をして、一人一人に自由に話をしてもらいました。
「子どもの学びとは何か。教育とはないか。教育と聞いてイメージすること、思い出すこと。教育の目的。どんなふうに育ってほしいか。教育がないとどのような社会になるのか今と昔の違いなど。について、一言お話しください」と。
その後、なぜそういう事態になるのかなどを考えながらフリートーク。
そんな流れで出てきた話を箇条書き。

・勉強はわりと好きでやっていた。だけど、そのうちどれだけが今役に立っているだろうか。歴史の年号暗記に意味はあったのか。高度な数学など、全員がやる必要があったのか。もっと、本当に大事なことを学んだ方がよかったのでは。
・字を覚える勉強が、世界が広がるようで嬉しかった。小学校の先生が、テストをやっても100点をとるまで教えて直してを繰り返してくれたのがうれしかった。
・グループ行動が苦手だった。トイレまで一緒に行くなんて信じられない
・子どもは自らゆっくり学んでいる。教育というのはどこまで必要なのか。
・学校は嫌いではなかった。休み時間や放課後が好きだった。
・田舎から都会に引越した途端、今までにない「中学受験」という概念を知って衝撃を受けた。
・仲がいいと思っていた友達に、おれの方がテストで1点上だ、この1点の間には何百人といる、と競争心をむき出しにされたのがショックだった。
・自分は人と垣根を作ってしまう性格で苦労をしてきたので、子どもにはそうではなく育ってほしい。
・勉強は、読み書きそろばんなど、買い物や日常生活に必要な基本的なことでよいのではないか。
・自分の子は、いやいやながらも、やってこないと目立ってしまうのがいやなので、なんとか宿題をやっている
・子どもには、自分で考えさせている。やりたくなければやらなくてもいいけど、やらないと困らない?というふうに考えさせている。
・不登校の場合、いわゆる学力はどのようにつけるとよいのか。
・学校が行くものという社会的圧力がある気がする
・最近の学童は、学校の延長になっていて、子どもの居場所という感じにはなっていないところもあるようだ
・教育は、主に妻が、パパのようにならないように、としてきたようだ
・子どもが偏差値教育の弊害か、高校のレベルだけを見て「あんな高校」のような言い方をするようになっているが、いずれわかってくるだろう。
・自分の子供は、宿題をやらないなりに切り抜けるメンタル力を身に着けているようだ
・「生きる知恵」をつけることが教育の目的の一つではないか。
・勉強ができるけど部屋が汚い、家事が何もできないというのはいかがなものか。
・真似したい生き方をしている大人がいるとよい。
・学びの語源は真似るであり、昔は大きい子の真似をして自然に覚えていたのに、いつからか、真似をしてはいけない、ような空気が学校で出てきた
・好き嫌いをはっきりして、好きなことだけをやる塾に子どもを通わせたとき、すごく救われた。
・明らかに正解である「1」を選んでいるのにばつがついた。理由は、「①」と書かなかったから。大人になったらそういう細かいところが重要になってくるとの、ぶれない先生の方針だった。(だけどね・・)

まだまだいろいろな話がありましたが、この辺で。
で、二日間を通して共通的な認識だった事。

教育(学び)の環境には、「複数の大人」、「子どもの居場所」の二つが必要だ。

今回の話で、「親戚のおじさんに救われた」とか、「塾の○○先生の生き方にひかれた」などの意見があった。
昔は大家族、親族の集まり、地域社会の中で周りに大人がいる環境が自然にあった。
しかし核家族化の現代、自ら求めないと、極端な話、親と学校の先生以外に大人はいない。
接する大人の数が多いほど、関わりが深いほど、世界が広がったり、メンタル的な強さをつけていけるようになっていくのではないか。

そして子どもの居場所。
素の自分を出せる場所があることが重要。
学校が苦手な子供にとってそのような場所がないと、息苦しさを感じてしまい、学校になじめない=自分はだめなやつ、と思ってしまいがち。
どこかで自分らしさを発揮して自己肯定感を感じられる時間がないと、どんどん卑屈になってしまうのではないか。

そして今できる行動は何か。
自分は、通学途中の小学生には挨拶をして、子どもにとっての大人の一人になるということが大事かなと思いました。

もう一つ、複数の大人が自然に関われる環境であるトモエ幼稚園は、あらためてものすごい場所であり、ありがたみを再認識しました。